君は覚えているかい
あの,ひと夜かぎりの見世物小屋を…?

川松理有


薄くひらいた瞼の隙間に
舌をさしいれる
硝子の瞳の縁をなぞるとき
あつい吐息を感じる
息をとめて
髪をすりぬけて
遠い国で言葉かわす
陽がのぼる前に猫を箱につめ
僕も行かなければ

 僕の家には人形が棲んでいて、ときどき僕が眠っている間に 、不思議な夢を見せてくれる。それは往々にして、僕の舞台作品に利用されている。
 どうして人形なのかとよくきかれる。人形は人の心を映す鏡、そして悲しき玩具である。人形と暮らすという現象には恋愛のマティリアルである独占欲が完全無欠に満たされ、かつ、決して解かれない謎が同居している。そこでは総て精神的な逢瀬しか有り得ない。幻想と言うよりは幻覚に近い、極めて不健康な恋愛世界なのだが、なにしろ現実の女の子みたいに、なだめたりすかしたりしなくて済む訳だから、人生を妄想の内に過ごしている輩には大変住み心地の良い環と言えよう。
 実は大好きだった人形作家の天野可淡さんが亡くなって、その方と同居していたこれも人形作家の吉田良一さんの工房に勝手に押しかけて行って、何度か通っている内にいつのまにかもらってきてしまった人形が、その彼女・小林榴華であり、この作品の主演女優である。実相寺昭雄監督、岸田理生脚本、マルキ・ド・サド原作の『悪徳の栄え』を始めとする映画や写真集に出演している彼女(当時は名前はなかった)のことなので、演技も実に堂に入っている。十年経っても全然老けないところが役者根性を感じさせてくれる。
 舞台上で彼女と会話するために、俳優たちは限りなく人形に近づかざるを得なくなった。
 この作品『REM』を初演した次に上演したのが、無声映画時代のハリウッド、D.W.グリフィスとリリアン・ギッシュを題材にした物語だった。リリアン・ギッシュが好きで、それによって無声映画も好きだったのだが、どうやら活動写真に弁士をつけるというのは日本独特の文化だったらしい。僕の好きな人形と活動写真のそれぞれの要素を組み合わせて、この作品作りは開始された。
 これまでの稽古の進行方法とは逆で、台本を書く前に俳優たちに様々な演技を提出してもらった。俳優ひとりひとりの個性的な技術と、人形がくれた不条理な夢と、9ヶ月も一つの作品を稽古してしまった飽和感の果てに出来上がったのが、この『REM』だった。
 喜ばしいことに、この作品を作る上で、画期的な演出方法を手に入れることが出来た。その演出方法とは、「じゃあ、あと、よろしくね」というものと、もうひとつ、「なんとかうまいことやってよ」である。この、世界中の悩める演出家に福音をもたらし、香港を中国に返還した英国政府にも通ずる崇高な演出手法によって、タイニイアリス最優秀演劇賞なる物まで戴いたのだった。
 かつては誰も子供のころ、夜眠る前に物語を語ってもらった。それは睡眠中の夢の中で混ざり合い、豊かな感受性は決して戻ることのできない一夜限りの見世物小屋の観客席に導いてくれたはず。不可思議で、怖くて、絢爛な迷路を彷徨ったことがあるなら、この舞台を見て、そんな懐かしい悪                             夢を思い出すかも知れません。

真夜中過ぎに僕は横になり
浅い眠りに堕ちて君と川で泳いだ
僕たちがいつ夢から覚めたのか
君は覚えてる?
ヤモリが唇に上がってきて
君の中に入って行った
脚の付け根から手をさしいれ
小さな膨らみを裏側からさすってみたけれど
君は躰の中に蛇を飼っていた
君の首の隙間から背中に入り込んだあのヤモリは
その後どこへ消えてしまったんだろうね




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このページは1997年11月に製作されたものです。 ご注意ください。

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