川松理有の実験劇
 −人生は悪夢のようなもの−      西村博子



 
REMとは Rapid Eye Moving の略、医学用語だという。脳はほとんど覚醒状態の浅い眠りで、目蓋がぴくぴくし、その時ひとは夢を見る。

 夢だから何を見るかわからないし何を見ても構わないが、人形・小林ルカの見た夢は、ご覧のとおり、ひらひらと舞う蝶であり、暗闇にひそむ物の怪や蛇女であり、出征する兵隊や女子挺身隊、子どもをサーカスに売り飛ばす誘拐犯であり、理科室の人体解剖レプリカや図画室の石膏像であり……少年の日の個的な記憶と歴史の共同体験とが入り交じったものであった。

 深くなったり浅くなったり断続的に継起するそれらの夢は、時に愛らしく時に繊細、時にヒューモラスであったりするが、その底に暗くまがまがしい悪意が、嫉妬と復讐心が流れているのは、マントの人形の言うとおり、この世を支配するのがもはや「神様」でなく「イカサマ」であるから、に違いない。

 夢や幻想を、自分にとって現実以上にリアリティあるものとして何の前触れもなく、いきなり舞台に出現させるという方法は、1960?70年代の演劇革命以来、例えば唐十郎の狼犬や甘粕大尉、例えば鈴木忠志の狂女、例えば寺山修司「REMING」の永遠に完成しない映画のロケ風景その他その他、実験的小劇場演劇の顕著な特色の一つとなった。そしてそれが、90年代後半の現在にまで受け継がれ、時代の閉塞を表現する有効な方法としてよく用いられることは、ちょっと劇場を覗いてみればわかる。
 
 がしかし、一見同じ方法を採っているように見えてこの「REM」が他と大きく異なるのは、その夢が二重、三重になっていることであろう。人間は人形の夢の中でしか生きられないし、その人形は他の人形の夢の中に生き、さらにその人形も他の人形の夢の中に生きているのだ。しかも、アメリカ生まれの「青い目をしたお人形」(野口雨情)はいっぱい涙を流しながら、それでも♪日本の港に着いたとき…と歌うことができたが、この日本生まれの人形たちは港に着く見通しなし。どうやら船は離破寸前らしい ―― のも、くっきり以前と分かつ特徴といっていい。時代はいっそう暗い。

 人形が人間か人間が人形か、まるで大正期の無声映画みたいな弁士つきで、言葉と身体を別々にする手法も、その言葉と身体によって観るものの知的理解ではなく、船酔いにも似た酩酊を味わうしかない、感覚に訴えようとするドラマトゥルギーも、最先端の実験の一つだ。言葉が力を持たない現代そのままに、弁士の語る膨大な言葉はもはや何の物語りも紡ぎだそうとせず、伝わってきたことといったらせいぜい、「人生は悪夢のようなもの」というお仕舞いの一言だけだったといっても言い過ぎではない。

 全編絶望に閉ざされているかに見えるこの「REM」にも、しかし、希望が全くないわけではない。見られるとおり、舞台はブレイクダンスあるいはパントマイム風の、西欧的で管理された身振りが基調となっているが、その中に差し金に舞う蝶や狂乱の人形振りや、二つ面・二人羽織の趣向、蜘蛛の糸、三角模様の蛇鱗などなど、日本芸能の伝統が採り入れられていたからだ。太極拳やインド舞踊もわかる人にしかわからないという形でだが、入っている。川松理有とその榴華殿が彼らのあるべき表現として何を夢見、何を志向しているか想像に難くない。 ―― 人形と同様、波間に漂うしかない私たちも、いつか自分が何者であるか、自分自身をみつけることができる、かも知れない。




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このページは1997年11月に製作されたものです。 ご注意ください。

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