本名、木谷正之助。明治10年4月4日、五世竹本弥太夫の二男として生まれる。
大阪市立商業学校を卒業後、神戸の貿易銀行に就職したことが、後に「貿銀」をもじって 「蓬吟」と号する由来となる。 日露戦争の陣中で近松研究を志し、父・弥太夫の死を機会に近松研究に取り組んだ。 昭和9年には近松研究会を創り、近松や郷土についての講演を行い、 生涯近松研究に没頭した。 妻の千種は日本画家。昭和25年4月6日没。享年73歳。 著書に『大近松全集』『文楽今昔譚』『五世竹本弥太夫 芸の六十年』『浄瑠璃研究書』
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展示目録 |
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No.10 | 「浪花文芸名所遺跡地図 素稿」(大正9年1月編)
*蓬吟が大阪市立市民博物館の依頼により作成したもの。 |
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No.11 | 「浪花文芸(歌舞伎・浄瑠璃)名所遺跡地図」素稿
*No.10をもとに昭和14年まで、増補改訂を加えたもの。 |
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No.12 | 「鶴沢友治郎記録」(アルバム)
*「義太夫研究」座談会(昭和8年9月10日 NHK大阪放送局にて) 右より 木谷蓬吟・六世鶴沢友治郎・六世竹本土佐太夫・ 江崎政忠・和気律次郎。 |
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No.13 | 『近松研究会一覧』(昭和19年刊 近松研究会) 松井静夫氏寄贈
*蓬吟が主催する近松研究会の業績一覧や、会員名簿等を収める。 |
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No.14 | 木谷蓬吟書状 木村豊三郎宛(昭和21年4月4日)
*蓬吟69歳の誕生日に、木村豊三郎より鯛を貰ったことに対する礼状。 水彩桜花画は日本画家である妻千種筆と思われる。 |
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No.15 | 「大阪義太夫以降官名受領者表」
*蓬吟草稿。昭和22年3月調べ。 |
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No.16 | 「掾位受領」(「文楽」第2巻5号 昭和22年刊 誠光社)
*No.15の資料をもととして成稿された。 |
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No.17 | 『蓬廂叢吟』(昭和26年刊 近松研究会)
*蓬吟の一周忌に刊行されたもの。蓬吟書誌・年譜を収める。 |
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No.18 | 木谷蓬吟著書
*『文楽今昔譚』(昭和4年刊 「道頓堀」編集部) 『人間近松門左衛門』(昭和17年刊 日本放送出版協会) 『道頓堀の三百年』(昭和22年刊 新大阪出版社) |
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