叢書の表紙写真(私説昭和の文楽)  吉永孝雄の 私説 昭和の文楽


構成:青木繁・山田和人
−吉永先生のお人柄−
 私が兵隊に行く前、四ツ橋のころからです。文楽に入りびたっているとしかいいようのない、
清水谷高女の若い先生でした。

 それから五十年ずっと、突然亡くなられる直前まで、いつも、専門委員というよりも、 人形を溺愛する先生でした。
あんなお人は、もうまたと見られないでしょう。

人間国宝 文楽人形遣い 吉田玉男


 吉永孝雄先生は平成二年十月に八十二歳の天寿を終えられた希有の文楽愛好家でした。
 大阪で生まれ旧制生野中学から大高、東大と進まれ、卒業後、帰阪して府立清水谷高女、
大手前高女(高校)で教壇に立ち、勝山高校教頭。のち羽衣学園短大教授、同学長を歴任された
優れた教育者でした。

 同時に文楽協会専門委員、文楽劇場専門委員等、厳めしい肩書きの学者でもありました。
 しかし知る人ぞ知る、吉永先生の真の姿はけっして「お偉い先生」のそれではありません。
文楽公演の時は、たいてい劇場ロビーで、その小柄な肩からショルダーを下げた温顔を
お見かけしないことがないくらい、文楽に通い詰め、克明なノートをとり、寄り来る人があれば親しく文楽を語り、
人形の魅力を語る「無類の文楽好き」でした。

 文楽は、世界の人形劇中最高のものと、その巧緻な表現や劇内容の迫力を、大阪人らしい語り口で語り、
人々を文楽に誘いかける方でした。四ツ橋文楽座以来、吉永先生ほど熱心に見続けて来られた方はいませんし、
「昭和の文楽」を語るのにこれ以上の方は多分いないでしょう。

 この本は、先生のユニークな語りと、各時期の文楽評等を織りまぜて構成した、
「吉永孝雄が見た昭和文楽史」なのです。
(青木 繁)



序にかえて……………………………………………………………………………………… 青木 繁
T昭和文楽の思い出


・四ツ橋文楽座開場
・松竹入社を考える
・文楽座に入り浸る
・古靭大夫の櫓下襲名
・新義座
・戦時下の文楽
・四ツ橋文楽座の焼失
・罹災した文楽
・古靭文庫の焼失
・文楽医者と『弥大夫日記』
・天皇行幸
・劇評仲間との出合い
・文楽の戦後
・芸人の生活
・文楽分裂
・あがく文楽
・合同への長い道のり
・道頓堀文楽座開場
・文楽よ何処へ行く
・両派合同 文楽協会設立
・文楽協会の研修
・文楽座から朝日座へ
・文楽青少年芸術劇場
・国立文楽劇場設立まで
U劇評家と文楽の人々

・劇評家 山口廣一と武智鉄二
・豊竹山城少掾
・清六との仲たがい
・八世竹本綱大夫
・一〇世豊竹若大夫
・三世竹本春子大夫
・初世栄三・文五郎
・二世桐竹紋十郎
・吉田栄三郎・二世栄三・玉男
・四世鶴澤清六
・一○世竹澤弥七
・六世鶴澤寛治
・二世野澤喜左衛門
V新作・復曲と演出


・文楽と新作
・新作文楽の演出と稽古
・近松物の復曲
・『曽根崎心中』
・『心中宵庚申』
あとがきにかえて……………………………………………………………………………… 吉永孝雄
付録 1.人形型取り
2.吉永孝雄略歴
3.吉永孝雄業績目録
4.三業人名一覧
後記《コラム》  ・四ツ橋文楽座
・古靭大夫の四ツ橋文楽座開場興行挨拶
・昭和二二年六月一四日文楽行幸記
・昭和二○年代における関西の演劇雑誌
・「痴呆の芸術」論前後
・道頓堀文楽座
・財団法人文楽協会の研修
・文楽協会初年度の観客動員と決算
・『義太夫調査書』
・学生鑑賞の初まり
・文楽の新しい観客
・昭和初期の日本放送協会と文楽
・栄三・文五郎と二流文楽論
・新作文楽(上演記録)
・西亭と新作・復曲
・近松物復曲上演記録
・吉永演出ノート
図版・写真計73点収録
定価 2500円+税/発行日 1994.4/A5判/223ページ
問い合わせ先
和泉書院

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