No.1 | 野良関相撲(やろうせきずもう) 元禄6年(1693)刊 稀書複製会複製 役者評判記に現れる坂田藤十郎の肖像(左)。編笠を被った、よく知られるやつし姿。 「傾城かいの第一」「今のよの随一此人の上有まじ」とうたわれる。 |
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No.2 | 役者大鑑(やくしゃおおかがみ) 元禄10年(1697)刊 園田学園女子大学図書館蔵 藤十郎が京都都万太夫座の座本を勤めていた時期の役者評判記。 「上々 坂田藤十郎」の評文では座本の苦労を述べる。 挿絵「京芝居矢倉木戸口札場の図」には、都万太夫座の櫓に「座本坂田藤十郎」の字 が見える。 |
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No.3 | けいせい仏の原(けいせいほとけのはら) 元禄12年(1699)刊 複製 絵入狂言本の挿絵に見る藤十郎の姿。近松作『けいせい仏の原』の梅永文蔵役。 虚無僧のやつし姿で三国の廓に現れ、遊女たちとじゃれ合う。後、恋人の遊女今川と別 れなければならなくなる愁嘆場となる。 |
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No.4 | けいせい壬生大念仏(けいせいみぶだいねんぶつ) 元禄15年(1702)刊 複製 絵入狂言本の挿絵に見る藤十郎の姿。近松作『けいせい壬生大念仏』の高遠民弥役。 酒の糟買いのやつし姿で、許嫁かつ姫のもとを訪れ、傾城買いの話をする。 ほろ酔い機嫌の長話が眼目。 |
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No.5 | 睡余小録(すいよしょうろく) 文政5年(1822)刊 「近松門左衛門姓は杉森名は信盛平安堂巣林子之像」。近松は藤十郎とコンビを組み、 狂言作者として数々の歌舞伎作品を生み出した。 『けいせい仏の原』『けいせい壬生大念仏』はその代表作。 藤十郎の魅力ゆえに、近松は歌舞伎の世界に作者としてとどまったと考えられる。 |
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No.6 | 夕霧阿波鳴渡(ゆうぎりあわのなると) 宮古路豊後正本 園田学園女子大学図書館蔵 近松門左衛門作『夕霧阿波鳴渡』を宮古路節に写したもの。 「紙子の袷一枚で七百貫目の借銭負うてもぎく共せぬは恐らく藤屋伊左衛門、日本にひ とりの男。」…などの様子は、夕霧の客伊左衛門役を得意とした藤十郎の面影を映して いると考えられる。 |
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No.7 | 耳塵集(にじんしゅう) 宝暦7年(1757)刊 今尾哲也氏蔵 道外方で狂言作者も兼ねた金子吉左衛門が記した、元禄を中心とした役者の芸談集。 「身ぶりとて作りてするにあらず。身ぶりはこころのあまりにして。よろこびいかるときは。 おのづからその心身にあらはるゝ。」と記す、登場人物の気持ちを第一にとらえ、その結 果身ぶりが決まってくるという藤十郎の写実精神がうかがえる条のほか、前後にも藤十 郎が得意とするおかしみの芸について記述している。 |
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No.8 | 役者全書(やくしゃぜんしょ) 第5巻 賢外集 安永3年(1774)刊 今尾哲也氏蔵 歌舞伎概説書『役者全書』の第5巻にある、役者染川十郎兵衛の話を狂言作者東三八 が記した芸談集。のちに菊池寛が『藤十郎の恋』として描いた、藤十郎が祇園の茶屋の 女将に偽りの恋を仕掛けてまで、密夫の稽古を果たしたという有名なエピソードのほか、 藤十郎に関わる芸談が多い。 |
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No.9 | 嵐百人鬘(あらしひゃくにんかずら) 元禄14年(1701)刊 複製 挿絵(右下)に、「しぐみ(仕組)のてい」が見られる。 作者が指図をし、役者たちが稽古をしている。長く座本を勤めた藤十郎は、仕組の責任 として役者たちを指導し、自らも稽古しながら、近松ら作者とともに新しい狂言を作り上げ ていった。 |
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No.10 | 金子吉左衛門日記(かねこきちざえもんにっき) 元禄11年(1698) 複製 東京都立中央図書館加賀文庫蔵 道外方の役者で狂言作者も兼ねた金子吉左衛門の日記。 藤十郎は「長政」という名で登場する。作者が狂言を案じ、相談をして藤十郎ら役者に話 し、稽古を進める仕組の様子が詳細にわかるほか、座本としての仕事をこなす藤十郎の 姿がうかがえる。掲出の8月11日は、「長政升屋よりヨビコム(略)予ハ長政ニ逢フ 来年 ノ芝 居ヱ予心入有テ済ムマジキ由ヲ云フ 是非ニ今一年済メト也」とあり、来年は藤十 郎の一座に出ないと言う金子に、もう一年同座してほしいと頼む座本・藤十郎の姿が書 き留められている。 |
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No.11 | 野良関相撲(やろうせきずもう) 元禄6年(1693)刊 稀書複製会複製 藤十郎とも同座した女方の名優芳沢あやめの肖像(左)。 互いに相談しながら稽古を重ね、芝居を練り上げていったと思われる。 |
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No.12 | 瀧安寺大般若経(りゅうあんじだいはんにゃきょう) 元禄5年(1692)寄進 複製 摂津箕面の瀧安寺に寄進された大般若経には、当時京で活躍していた歌舞伎役者や 近松などの作者の写経が含まれている。この藤十郎の写経は、現存する唯一の自筆。 巻末に「施主 坂田氏藤十郎」とあり、ここに「為 十誉一空菩提也」とあるところから、 これまで藤十郎の戒名と考えられていた「十誉一空」が藤十郎のものでないことも判明 した。 |
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